31の名言とエピソードで知るオードリー・ヘップバーン[英語と和訳]

オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)の英語&和訳のおすすめ名言と人物像

オードリー・ヘップバーンの言葉-お気に入りBEST4

(1)As you grow older you will discover that you have two hands; one for helping yourself, the other for helping others.(年を重ねると、自分に二つの手があることに気づきます。ひとつは自分を助けるための手。そして、もうひとつは他人を助けるための手。)
(2)Pick the day. Enjoy it to the hilt. The day as it comes. People as they come. The past, I think, has helped me appreciate the present and I don’t want to spoil any of it by fretting about the future.(日を決めて、思いっきり楽しむの。その日をあるがままに、出会う人も出会うがままにね。過去の経験があるからこそ今を楽しめると思うし、未来のことばかり心配して、今この瞬間を無駄にするなんてもったいないわ。)
(3)The greatest victory has been to be able to live with myself, to accept my shortcomings and those of others.(私にとっての最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。)
(4)Nothing is impossible, the word itself says ‘I’m possible’!(不可能なことなどないわ。Impossible(不可能)という言葉に、I’m possible(私にはできる)と書いてあるのだから)

オードリー・ヘップバーンの功績・生涯・エピソード

【オードリー・ヘップバーンの人生】
本名は、オードリー・ラストン。170cm。父はアイルランド系の英国人で貿易商、母はオランダ貴族出身。6歳でロンドンの寄宿舎に入学。10歳の時に、父がベビーシッターと浮気をし両親が離婚。第二次世界大戦前の1939年にドイツからの侵略を免れるためにオランダへ移住。オランダの音楽院でバレエを学ぶ。対戦中に栄養失調と貧血、呼吸器障害、むくみを患う。15際頃には1人前のバレリーナになっていたが、終戦後の翌年母とオードリーはアムステルダムに移住し3年間さらにバレエを学びオランダでも有数のバレリーナになった。母は下働きで家計を支えたが、ヘップバーンも日々の生活費を稼ぐ必要に迫られていた。そういう理由から、バレエより給料のよかった舞台にでるようになる。舞台に立ちながら映画にも端役で出演するようになる。1948年ロンドンでバレエ学校に入学し舞台デビュー。1950年に端役で映画に初出演。1953年ヘップバーン24歳のとき、「ローマの休日」の主演に抜擢される。1993年1月20日死去。享年63歳。

【ハリウッドの美人女優の常識を覆し、今なお絶大な人気を誇る】
出演した映画はもちろん、今もさまざまなジャンルのイメージキャラクターとして絶大な人気を誇るオードリー。やせっぽちで、長い首と小枝のように細い腕、そしてファニーフェイスを持った彼女の活躍は、ハリウッドの美人女優の常識を覆したが、その対極としてハリウッドがマリリン・モンローという伝統的なセックス・シンボルを作っていたことを考えれば、いかにオードリー・ヘップバーンが異端な存在であったかがわかる。つまり、生々しい性を感じさせない中性的な魅力こそが、男女を問わず観客を魅了した伝説の源なのだ。
例えば「ローマの休日(1953年)」は、監督のウィリアム・ワイラーがオードリーを発見しなければ日の目を見ることはなかった。王女らしい気品と気高さと、少女のような可愛らしさを併せ持った女優。だが決して生々しい女性を感じさせてはならない。そんな条件を満たす存在は当時のハリウッドにはいなかったのだ。そしてワイラーの巧みな演出と、相手役のグレゴリー・ペックの好サポートによって、彼女はいきなりアカデミー主演女優賞を手にする。
そんなオードリーの映画がいまだに多くの人々に親しまれている理由は、ワイラー、ビリー・ワイルダー、スタンリー・ドーネンといった名匠たちが彼女の魅力を引き出し、はるか年上の名優たち(ペック、ハンフリー・ボガード、フレッド・アステア、ゲイリー・クーパー、ケーリー・グラントら)を相手役に得て、イーディス・ヘッドやジバンシーといった名デザイナーが衣装を手掛け…と、まさにみんなが喜んで彼女の引き立て役になったからに他ならない。
もっとも本人が「私は最後まで女優にはなりきれなかった」と告白したように、彼女には女優らしからぬ初々しさが残っていた。これは女優としての限界を示す一方で、その淡白な印象が彼女の魅力でもある。
「ローマの休日」は評論家、大衆からも高い評価を受けアカデミー主演女優賞、ゴールデン主演女優賞、英国アカデミー最優秀主演英国女優賞を受賞する。その後の主な出演映画に「麗しのサブリナ」「尼僧物語」「ティファニーで朝食を」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」などがある。私生活では1954年ヘップバーン25歳の年にアメリカ人俳優メル ファーラーと結婚。2度の流産を経て1960年31歳のときに長男ショーンを出産。その後も2度流産があった。ファーラーとの結婚は14年で終わった。晩年を飢餓救済のチャリティ活動にささげたオードリー。ライバルだったエリザベス・テイラーは、「神は地上で一番美しい天使を召された」と、その死を悼んだ。

【オードリー・ヘップバーンのその他のエピソード】
ローマの休日のアン王女役は、当初エリザベス・テイラーだった。1954年からユニセフ活動を始める。1988年にはユニセフ親善大使を務める。映画でもプライベートでもジバンシーのドレスを愛した。

※初回投稿日:2018年2月10日

名前:オードリー・ヘップバーン
Name:Audrey Hepburn
生まれ:ベルギー ブリュッセル
生年月日:1929年5月4日
職業:女優

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オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)の名言・格言・言葉 一覧

Why change? Everyone has his own style. When you have found it, you should stick to it.なぜ変わろうとするの?皆それぞれのスタイルがあるんだから、自分のスタイルが見つけられたなら、それを変えようとする必要なんてないわ。Audrey HepburnWhy change? Everyone has his own style. When you have found it, you should stick to it.
なぜ変わろうとするの?皆それぞれのスタイルがあるんだから、自分のスタイルが見つけられたなら、それを変えようとする必要なんてないわ。

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