24の名言とエピソードで知るアイザック・ニュートン[英語と和訳]

アイザック・ニュートン(Isaac Newton)の英語&和訳のおすすめ名言と人物像

ニュートンの言葉-お気に入りBEST4

(1)Truth is ever to be found in simplicity, and not in the multiplicity and confusion of things.(真実は、多様さや混乱の中でなく、つねに単純さの中から見いだされる。)
(2)To every action there is always opposed an equal reaction.(すべての行動には、常にそれと等しい反対意見がある。)
(3)I can calculate the motion of heavenly bodies but not the madness of people.(天体の動きは計算できるが、人々の狂気は計算できない。)
(4)My powers are ordinary. Only my application brings me success.(私の力は普通のものだ。私の応用力こそが成功をもたらした。)

アイザック・ニュートンの功績・生涯・エピソード

【22歳で万有引力を発見!】
ガリレオ・ガリレイデカルトと並ぶ近代科学の祖であり、先人たちの業績を礎として科学誌に残る数々の発見をしたのがイギリス生まれの科学者アイザック・ニュートンである。特に「万有引力の法則の発見」、「微分積分法の発見」、反射望遠鏡の開発などにつながる「光のスペクトル分析」はニュートンの「3大発見」と呼ばれている。

【3大発見の着想を得たペスト流行による余暇】
これらの3大発見の基礎となるひらめきは、すべて1665年からの約2年間で行なわれている。
この年、ロンドンを中心にペストが大流行し、ニュートンの通っていたケンブリッジ大学も閉鎖になった。そこで同年10月、イングランド東部にある生まれ故郷ウールスソープに帰ったニュートンは1667年3月まで故郷で過ごすのだが、特に何もすることがない毎日は彼にとって貴重な時間となった。三十年戦争に従軍していたデカルトは、ある時休暇の1日を炉部屋でひとり静かに過ごし、その夜に見た夢の中で著書「方法序説」につながる考えがひらめいたという。これと同じように、ペスト流行による臨時休暇は、静かに思索に耽るためのニュートンの「炉部屋」となったのである。ちなみに、彼が「木から落ちるりんご」をみたのもこの期間のこととされる。

【後世に最後の魔術師と評された理由】
以後、大著「プリンキピア」を出版した1687年ごろまで、ニュートンの人生はおもに若き日のひらめきを形にするために費やされた。ところが、もともと厭世的な面があったニュートンは、大著を書き上げた虚脱感からか、その後、鬱状態に陥る。特に1692年2月に自宅が火事になり、長年積み重ねた光学研究の手記などが失われると、それからの約1ヶ月は正気を失った状態になったという。
それでも、周囲の助けなどによって次第に回復したニュートンは、教え子であった財務大臣モンタギューの計らいで造幣局長官となったほか、国会議員や王立協会会長を歴任。1705年にはナイトの称号を与えられるなど栄光の晩年を過ごした。このころ、彼の研究分野は神学や錬金術がメインとなっていた。
近代科学の祖と錬金術の取り合わせには違和感も感じるが、ニュートンが生涯に残した手記は自然科学に関するものより、神学や錬金術に関するものの方が多い。12歳から大学入学まで、彼は薬剤師の家に寄宿していたが、当時の薬学というのは錬金術から派生した部分も多く、このころから錬金術に興味を示していたのではないかと思われる。そのため、後世ニュートンの錬金術に関する手記を入手した経済学者のケインズなどは、ニュートン誕生300年記念論文集に寄稿した手記の中で、「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく、彼は最後の魔術師だった」と述べている。

【ニュートンの生い立ち・幼年〜青年期】
イギリスの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者で、 1643年に同名の父アイザックと母ハナの間に未熟児として生まれた。父はニュートンが生まれる三ヶ月前に死去しており、母ハナは、ニュートンが三歳の時に再婚し、母は幼子のアイザックの元を離れて再婚相手との生活を始めたため、ニュートンは祖母に育てられることになった。そういう状況からニュートンと母の関係は後年もつかずはなれずの関係ではあるものの決して良好といえる関係ではなかった。親類がニュートンの才能に気づいたおかげで、12歳の時から中等学校に入学させてもらえることになった。しかし自宅から学校へ通える距離ではなかったため、母の知り合いである薬剤師のクラーク家で下宿生活を始めた。この下宿時代に薬学関係の豊富な蔵書に触れて薬学に興味を持つきっかけになった。またクラーク家の養女であるストーリーと親交をふかめ、彼女とは18歳のときに婚約を果たす。クラーク家での学校生活中に、薬学への興味だけでなく薬草の収集や水車、水時計や日時計の製作などを行っていた。ニュートンは体も小さく内向的な子どもだったが、自分をいじめた子供との喧嘩に勝ち自分への自信を持つことができた。ニュートンが14歳のときに、母ハナの再婚相手が死亡したのをきっかけに家に母が戻ってくる。母は農業をニュートンにやらせたかったために学校を退学させるが、ニュートンの適正と周りからの助言を聞き入れてケンブリッジ大学に入学させることになる。ケンブリッジ大学で恩師バローと出会ったこともあり、ニュートンの才能は開花し、万有引力の発見や微分および微分積分発展に寄与した。万有引力の発見はニュートンが23歳の時である。

【アイザック・ニュートンのその他エピソード】
クラーク家のストーリーと婚約はしたが、ニュートンは一生独身のままであった。性格としては、我が強く気難しくて偏屈な一面もあり、意見が合わぬものは反論の余地をあたえず徹底的に論破した。笑ったことは生涯で一度だけとも言われる。(それは論敵がボロを出した際の嘲笑だった)実験や研究には、超人的な集中力を発揮した。食事には無頓着だった。当時は猫を飼うという習慣はなかったが、愛猫家で出入りする猫に、研究に没頭して食べ忘れた食事を猫に与えていたというエピソードも。

※初回投稿日:2017年8月18日

名前:アイザック・ニュートン
Name:Isaac Newton
生まれ:イングランド
生年月日:1643年1月4日
職業:物理学者

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What goes up must come down.あがったものは必ずさがってくる。Isaac NewtonWhat goes up must come down.
あがったものは必ずさがってくる。

 

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プラトンは友達、アリストテレスも友達だが、私の親友は真実である。- ニュートン自身のノートより

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