20の名言とエピソードで知るチャールズ・ダーウィン[英語と和訳]

チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)の英語&和訳のおすすめ名言と人物像

チャールズ・ダーウィンの言葉-お気に入りBEST3

(1)It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.(最も強いものでも、最も知的なものでもない。生き残る種とは、変化に最もよく適応したものである。)
(2)A man who dares to waste one hour of time has not discovered the value of life.(一時間の浪費をなんとも思わない人は、人生の価値を見出してない人だ。)
(3)If the misery of the poor be caused not by the laws of nature, but by our institutions, great is our sin.(我々の貧困の悲惨さが自然法則によるものではなく、人間の行いによるものだとしたら、我々の罪は重い。)

チャールズ・ダーウィンの功績・生涯・エピソード

【進化論で世界を揺るがしたダーウィン】
進化論で生物学界のみならず宗教界にも衝撃を与えた科学者ダーウィンだが、学生時代は必ずしも優秀な生徒ではなかった。父ロバートも祖父エラズマスも医師という裕福な家庭に生まれたダーウィンは、8歳の時、母スザンナを亡くしてる。10歳で地元シュルーズベリー(イングランド北西部)の寄宿学校に入学したものの、屋外で釣りや狩りをするのに夢中で一向に勉学に力をいれようとせず、厳格な父からは「そのうち一族の面汚しになる」といわれるほどであった。
その後、医師になるべく16歳でエディンバラ大学へ入学したが、外科手術の授業で血を見るのが苦手だったダーウィンは大学を中退し医師の道をあきらめた。まだ麻酔薬が実用化されてなかった当時、血を吹き出しながら激痛にのたうち回る患者を診るのに耐えられなくなってしまった。
退学した同年にケンブリッジ大学神学部に入りなおして聖職者をめざすが、ここでも勉強に身が入らない。ただし、自らが興味を持ったことに関しては周りがみえなくなるほどの集中力を発揮している。
この頃は昆虫採集に熱中していたが、あるとき、3匹の珍しい昆虫を見つけたダーウィンは、2匹を捕獲した後、両手が塞がっていては3匹目を逃してしまうと思い、咄嗟に捕獲したうちの1匹を口の中に入れた。しかし、その虫は外敵に襲われると熱風を噴射するホソクビゴミムシの1種だったため、ダーウィンは口の中を火傷してしまったという。

【慎重さが裏目に?友人と連名で進化論発表】
どうにか大学を卒業した1831年、だーう審は知人の紹介で、博物学者兼フィッツロイ船長の話し相手として測量船ビーグル号に乗船することになった。以後、5年間の南半球航海で積み重ねた動植物の観察記録や標本が、のちに整理されて進化論につながっていく。航海中に寄港した様々な土地で知りえた動植物の種の不変性に疑問を感じて地質学を学ぶ。大陸の変化に応じて植物や動物にも新しい生息地に応じた適応がなされたのではないかと感じた。
ところが、ダーウィンはこのときの整理に時間を使いすぎた。すでに1844年には論文の草稿は出来上がっていたものの、反論の余地を残さないようにと慎重になりすぎたのである。そして1858年、友人でもある博物学者ウォーレスが、ダーウィンと同じ「自然選択による種の変化」に着目した進化論の論文を送ってきた。これを読んで焦ったダーウィンは、結局、ウォーレスの論文と一緒に、これまで書き溜めた自身の論文を発表。さらに翌年、研究のあらましを記した「ダーウィンの進化論(種の起源)」を出版したのである。

【ダーウィンの関係人脈】
友人:ウォーレス(1823~1913)
独学で博物学を修めたイギリス人。マレー半島で標本の採取と研究を行っていたところに独自の進化論を思いつき、友人のダーウィンに論文を送っている。この論文はダーウィンのものと同時にリンネ学会に提出されたが、ダーウィンを尊敬していたウォーレスは進化論を彼の功績として「ダーウィニズム」とよんだ。

影響を受けた人物:マルサス(1766~1834)
イギリスの経済学者。主著「人口論」のなかで、人間社会にも動物の生態系にも常に生存競争があり、優秀な個体だけが種を残す、ということを示し、ダーウィンやウォーレスが進化論を思いつくきっかけとなった。

祖父:エラズマス・ダーウィン(1731~1802)
医師で博物学者。ルソーやワットとも交流があり、知識人を集めた交遊会ルナ・ソサエティを設立。「ズーノミア」「自然の殿堂」などの著書で科学的に生物進化を論じ、孫のチャールズに影響を与えた。

※初回投稿日:2017年8月26日

名前:チャールズ・ダーウィン
Name:Charles Darwin
生まれ:イギリス シュロップシャー州 シュルーズベリー
生年月日:1809年2月12日
職業:自然科学者

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チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)の名言・格言・言葉 一覧

It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.最も強いものでも、最も知的なものでもない。生き残る種とは、変化に最もよく適応したものである。Charles DarwinIt is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.
最も強いものでも、最も知的なものでもない。生き残る種とは、変化に最もよく適応したものである。

 

I am not the least afraid to die.死ぬことは、まったく怖くない。Charles DarwinI am not the least afraid to die.
死ぬことは、まったく怖くない。

 

I am turned into a sort of machine for observing facts and grinding out conclusions.私は、事実を観察し結論を導くための機械のようになっている。Charles DarwinI am turned into a sort of machine for observing facts and grinding out conclusions.
私は、事実を観察し結論を導くための機械のようになっている。

 

An American Monkey after getting drunk on Brandy would never touch it again, and thus is much wiser than most men.ブランデーを飲んで酔っ払ったことのあるアメリカザルは、もう二度とブランデーに手をつけようとはしない。ということは、人間よりはるかに頭がいいということだ。Charles DarwinAn American Monkey after getting drunk on Brandy would never touch it again, and thus is much wiser than most men.
ブランデーを飲んで酔っ払ったことのあるアメリカザルは、もう二度とブランデーに手をつけようとはしない。ということは、人間よりはるかに頭がいいということだ。

  On the ordinary view of each species having been independently created, we gain no scientific explanation.個々の種が単独で作られたという平凡な見解では、科学的な説明は得られない。Charles DarwinOn the ordinary view of each species having been independently created, we gain no scientific explanation.
個々の種が単独で作られたという平凡な見解では、科学的な説明は得られない。

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